一般入試で中央大学を受験。準部員から箱根予選会チームトップに
箱根駅伝ノート・中央大学 第5回
中山の成長と中大の挫折
正式に中央大陸上部の一員になると、その後は故障もなくトレーニングを継続。1年後には箱根駅伝の予選会メンバーに選ばれるほど成長した。しかし、「予選会メンバーに選ばれたうれしさもありましたが、それ以上に怖さの方が強かったんです。この舞台で自分が走れるのか……」と中山。不安な気持ちに揺さぶられると、レース1週間前に発熱して、出走メンバーから外れることになった。そして、中央大の87回連続出場が途切れることになる。
「中大が落ちるとは思っていなかった」という中山だったが、個人としては自己ベストを積み重ねていく。11月の日体大長距離競技会5000mで14分23秒69、12月の日体大長距離競技会1万mでは29分19秒13をマークした。
今季は4月9日の日体大対抗戦5000mで15分36秒07に沈んだものの、6月の全日本予選会(1万m)では3組を任されて、29分16秒49の自己ベストで5着。練習日誌の言葉には、中山の嬉々とした様子が伝わってくる。
初めての大舞台で8000mのときに舟津とワンツーで走れたときは夢かのように嬉しかった。まだまだ自分の力の弱さで離れてしまったが、名前を聞いたことのある選手達と互角に競えたことは自分の陸上人生にも大きなプラスになったし、自信がついた。
その後も中山は走る度に自信を深めていく。8月12日の蔵王坊平クロスカントリー(男子シニア8㎞)では山本修二(東洋大4)と競り合い2位。9月の日本インカレ1万mでも29分16秒49の自己ベストで9位に食い込んでいる。
「日本インカレはあと1歩で入賞できなかったですけど、他校のエースと互角に渡り合えたことは自分のなかで大きな1歩でした」と中山。10月の活躍は、『スポーツ報知』の記事になるなど、多くのファンに知られることとなる。
箱根予選会は59分36秒で個人総合8位(日本人2番)。チームで最初にゴールへ飛び込むと、1週間後の平成国際大長距離競技会5000mでは大幅ベストとなる13分53秒07を叩き出した。
「予選会の舞台で活躍できて、周囲の反響は凄かったです。4年間でどうにか箱根を走りたいと思ってきたんですけど、自分が5000mで13分台を出せるなんて想像していませんでした。正直、ここまで成長できたことに驚いていて、映像を見ても、自分なのかと疑ってしまうこともあるんです。でも、これで満足してしまったら成長はないと思うので、いい意味で欲を持って、次は1万mで28分台を狙い、箱根では2区で他校の選手と勝負できるように頑張っていきたい。笑われちゃうかもしれませんが、区間5位が自分の目標です」
高校時代の5000mベストで1分以上の開きがあった堀尾との差はほとんどない。「堀尾はエースと呼ばれてきましたけど、今は負けたくありません」と中山はキッパリいう。
中山が大学で急成長できたのはコツコツと練習を積み重ねてきたことに他ならない。そんな地道な姿勢は練習日誌にもあらわれている。
「高校時代はやらされていてあまり意味はなかったんですけど、机に向かって書けば自分と向き合える。1日を思い返す時間は大切ですし、調子の良いときと悪いときの振り返りができるように毎日書いています。あ、箱根予選会の日は浮かれて遊びに行っちゃったので書いていないですけど(笑)。箱根駅伝は才能があってスポーツ推薦で入学するような選ばれた人しか無理だと思っている人が多いかもしれませんが、長距離は才能よりも努力だと思っています。走った分、力がつく。自分で無理だと思っている人でも夢があるなら挑戦してほしいですね」
藤原監督も中山のことを「陸上の能力はそんなに高いわけではないですけど、何事もひたむきにやります。心の部分は非常に才能のある子です」と評価している。そして母校の駅伝監督に就任して約1年半。藤原監督はチームの〝成長〟をこう表現する。